はじめての大腸内視鏡検査。
※この記事では説明をする上で、便の状態について書いています。
↓こちらの続きです。
診察から3日後に内視鏡検査を行いました。
検査は午後からですが、前日から食事制限があり当日の朝から下剤を服用して準備がありました。
こちらの下剤を飲みました。
このモビプレップという下剤を飲んだ感想は激まずでした(´;ω;`)
梅ジュースと表現するひとが多いけれど、それに塩分多めにして不味くした感じ。
飲みやすいという人もいるかもしれないけど、わたしはダメでした。
コップ1杯ほどのモビプレップを15分かけて飲んで、同量の水を15分かけて飲むを病院の指示された回数繰り返して便が液体になり、透明になるくらいまで続けます。
わたしの場合は、最初から液体で固形がでないので最初に指示された量より多く飲むはめになりました(´;Д;`)
検査をして分かったことですが、腸が炎症を起こして水分を吸収出来なかったためそのまま排出されていたようです。
便秘だと思い込んでました(-_-;)
下剤を飲み始めて5時間。予定より遅れて検査は開始され、検査台に横になり心電図など様々な機器が自分に取り付けられて行きます。
緊張が最高潮に達したわたしはいい歳して泣いてしまいました。
自分の身に何が起こっているのか知りたいような知りたくないような複雑な心境で不安に押し潰されそうでした。
看護師さんはそんなわたしの涙を拭き、大丈夫だよと手を握ってくれて先生もわたしが不安に思わないように声をかけながら検査を進めてくれて本当に心強かったです。
盲腸までカメラを入れて、戻りながら腸を見ていきます。
ガスも注入されてお腹の張りを感じました。
中で何か動いている違和感はあるけど、痛みはありませんでした。
モニターに映し出された自分の腸は、素人目で見ても酷い状態でした。
所々出血もして白い膿がベッタリとついていました。
浮腫みで急に腸管が狭くなり炙った様な黒い点々模様の腸壁に衝撃を受けました。
「これで仕事行ってたの?痛かったでしょう。」と言われ、我に返りました。
実はその日は朝6時に出社して3時間ほど仕事をしてから病院へ来ていました。
上司からバンバン連絡が入り、業務を振られる毎日。
食事を取れなくなったときや入院して沢山休み、それに伴い職場の居心地も悪くなりこれ以上休むことに罪悪感がありました。
その時のわたしの状態は37度台〜38度台の発熱、倦怠感、腹痛、下血等。
その頃はコロナ禍の真っ只中。
会社規定で37.5度以上の発熱で自宅療養、PCR検査を受ける必要がありました。
わたしもPCR検査を受け陰性。コロナでもインフルエンザでもなければ休むことも許されません。
そして発熱する度に、会社から配布された検査キットや自分で購入した検査キットで陰性であるか確かめて出社していました。
余談ですが、この検査キットは研究用だったので精度低かったのでは?と思っています。
コロナに感染した会社の人も陰性って出たけど病院で検査したら陽性だったらしい。
ちなみにわたしの雇用形態はエリア採用で昇進もしないし低賃金。職種も書類上は助手。
業務内容は他社員と変わらないし新卒より給料は低い。年々私たちの職種だけ減らされる賞与。
ただ、自分が業務をこなさなげれば、ほかに誰も出来ないから会社に迷惑がかかるという責任を感じて仕事をこなしていました。
今思えば、何をモチベーションに頑張ってたんだろう。
どんなにわたしの体が悪くなったって会社は責任を取ってくれないに。
自分を気にかけ、大事にできるのは自分だけだった。
身体を壊してまで仕事を頑張る意味ってないように思えます。
あの時は目の前のことをこなすのに必死で自分のことを考える余裕がありませんでした。
検査は腸の潰瘍部分の組織を採取して終了しました。
診察室に移動し、先生が手に持っている潰瘍性大腸炎についての複数のパンフレットが目に入り、潰瘍性大腸炎って安倍元首相が患ってるやつ?あれって難病じゃなかった?と色々頭の中をかけ巡りました。
「おそらく、まぁ…ほぼ左側大腸炎型潰瘍性大腸炎だと思います。」と告げられました。
血液検査結果の貧血度合と炎症値、発熱症状、排便回数、頻脈から中等症と言われました。
その時は、採取した生検結果がでるまでは確定じゃない。
絶対に受け入れられないと思いながらも心のどこかではわたしは難病なんだと心がザワザワしていました。
検査が早く終わると思っていたので、検査後はまた仕事に戻るつもりでした。
病院を出た頃には、もう会社の退社時間でしたが荷物を取りに会社へ戻りました。
仲の良い先輩に大丈夫だった?と聞かれ、大丈夫じゃなかったと口にすると張り詰めた糸が切れたように涙が溢れて止まらなくなりました。
そのまま人事の部長のところへ行き、来週検査結果を聞きにまた病院にいきます。これから検査や治療で休むことが多くなると思います。申し訳ありませんと伝えました。
大人の女性が職場で泣きながら、本当にびっくりしたと思います。
その時は周りを気遣う余裕もなく、今思えば恥ずかしいですね。
その日はそこから仕事を始める心の余裕もなく、帰宅しました。
生検結果が出る一週間、グラグラな心身で何とか働きました。
そして、検査結果を聞くとやっぱり潰瘍性大腸炎。
治療のための医療費助成の説明をされ、寛解に向けて治療が始まりました。
まだ病気のことを受け入れられないけれど、つらさから解放される期待もありました。
しかし、寛解までの道のりは遠くて、決して平坦なものではありませんでした。
治療なんてしなければ良かったと何度も思いました。
寛解した今だから絶対に治療して良かったと思えるけれど、当時は先の見えない不安に心身共に本当に辛かったです。
つつぎは、また今度m(_ _)m
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